【干しそば】駄そばで年越しそば コロッケそば から揚げそば メンチカツそば ハンバーグそば

今年ももう終わり、年末といえば年越しそばですね。いつの頃からか、日本では大晦日に蕎麦をいただく風習が起こり、それが21世紀の現在までも続いています。今年は、干しそばで家族みんなで年越しそばなんて如何でしょう、きっと、ほっこり楽しいと思います(*´ω`)実は私は昔からそばが好きで、もっというと立ち食いそばや駅そば、所謂『駄そば』と揶揄されるそばが大好きでして、会社員をしていた頃は、行く先々でよくこの駄そばを探して食べては喜んでおりました。しかし今を去ること5年前の2016年に、私が通っていた会社が、後継者問題が拗れ会社解散となり、その結果、私は会社都合の解雇を喰らいまして、仕方なく(?)独立起業し法人を興して今に至るわけですが、、そんな中、何が悲しいって、その愛おしい駄そばが全く食べれなくなったことでした(そこかい!)、新たな生活環境の中には、駄そばは無論、まともな日本蕎麦屋さんすらもなかったのです。。『‥仕方ない、ないなら作るか』そんな発想の転換で、干しそばや茹でそばを片っ端から手に入れ、色々試しながら作っては日々食べまくりました。そしてようやく自分のお気に入りのスタイルが確立されたのが2年ほど前でしょうか、今ではヘタな立ち食いそば屋さんに負けない自信があります。そんな私の愛おしい駄そば、数ある駄そばメニューの中でも、如何にも駄そばらしいメニューというものがあります、それらを以下にご紹介します。駄そばらしい駄そばといえは、やはりコロッケそばが一番でしょう。続いて、から揚げそば、、コロッケそば、から…

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大多喜無敵探検隊 佐奈田隊長 回顧録-since197X はじめに(in note)

 私は趣味で、房総半島の夷隅郡市の昔話伝承サイト「房総レジェンド」というサイトを運営しているのですが、そのスピンアウトコンテンツという形で、私自身が小学生だった頃に過ごした、千葉県の房総丘陵の町「大多喜町」を舞台にしたお話を「児童文学」調でnoteにて公開しています。さしずめ、昭和のあの頃に少年だった、そんな「大人のための児童文学」といったところでしょうか。文字にすると中々カッコイイものですが、実力が伴わず、我ながら稚拙な文章やヘタすぎる挿絵が毎度気にかかってはおります(汗)。 この一連の物語は、時代的には1970年代、昭和50年代です。そのころの遊びや世相、房総の自然、そして地域に伝わる昔ばなしや当時語られたお化けや幽霊の話などを中心に、さらにこの先は、あの頃の私がよく空想していた宇宙や地底世界、謎の人物なども交えて、それなりに短編的に紹介できたらと思ってます。また、大体のお話は、主に私自身が小学校4~5年生の頃の時代を中心に考えておりますが、時にはその前後、低学年や高学年での年代設定でもやっていったら面白いかもしれません。 雰囲気的にはその昔に流行ったRPGゲーム「ぼくのなつやすみ」の南房総版、もしくは下品な20世紀少年、ちびまる子ちゃんの男の子版、田舎小学生版の「まことちゃん」‥といったところです。今年の6月から書き始め、現在では12の更新、8つのエピソードがUP出来ました。 今後はこのblogでも、そのnoteで書いたエピソードの紹介をしていけたらと思います。大多喜無敵探検隊 佐…

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妙典と行徳のお神輿 そして千葉県と周辺の有名なお神輿【映像資料?】

去年から世界的な流行り病のせいで、お神輿製造の町・お神輿の町として国内でも有名なこの行徳地域でもお祭りがなく寂しい限り・・故に過去のお神輿の動画を検索してきて、ここにまとめてみました。これからの街を担うチビッ子たちにも興味を持ってもらって、いずれ担ぎ手になってくれたらいいなぁ、、お神輿は、英語でも『portable shrine(ポータブル・シュライン)』と云われる通り、文字通り神様が宿り街を巡る『小型の神社』そのものともいえます、地域の安全・息災のためにも大変ありがたい行事でもあるのですね。何より来年こそはまた元気に、街のみんなでお神輿ワッショイ!やりたいですね。行徳神輿の特化型 千貫神輿と獅子頭上妙典八幡神社 例大祭(上妙典=市川市妙典1・2丁目)町神輿としては国内でも例がない千貫神輿なのです。こちらは上妙典八幡神社の宵宮(よいみや)の様子が撮影されています。第14回 妙典まつり(2019年)この時はじめて下妙典の獅子頭も出場し、上妙典、下妙典がみょうでん祭りでコラボしました。第13回 妙典まつり(2018年)第12回 妙典まつり(2017年)下妙典 春日神社 例大祭(下妙典=市川市妙典3丁目)大きな雌雄の獅子頭のお神輿です。行徳揉みについて下の動画は、行徳のお神輿の独特な揉み方のひとつ『放り受け』、タイミングを見計らい、皆でお神輿を天に放り上げてキャッチするのです。↓こちらは同じく行徳のお神輿の独特の揉み方『地すり』、大地の神様に捧げる行徳揉みの一つの作法です。↓こちらも行徳神輿の独特の揉み…

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【干しそば】2021年の冷やしそばmenu一覧 夏向け干しそば【記録用】

何を隠そう、私は年中干しそばで蕎麦ばかり食べております。それも冷そばではなく圧倒的に温そば派、しかし夏の間は大好きな温そばは熱すぎて食べれず、毎年暑い時期は私の蕎麦頻度が下がりがちでした。しかしそれではあまりにも人生の時間が勿体ないので、この夏は普段あまり好きではない冷やしそばを追求してみることにしました。以下はまた来年の夏にメニューに迷わないための、主に来年の私のためのメニュー表みたいなものです。今年は10月になってもまだ暑い日が続いていますが、流石にこの先は暑いのも終わりでしょうし、そうなるとしばらく冷そばを食べなくなるので、こうしてメモっとかないと私自身忘れちゃうのです。。干しそばは、国内の干しそばを70~80種類程食べ比べた結果、昨今ではローソンの『信州そば』に落ち着いています。これは干しそばの名品『小諸七兵衛』を産み出した信州ほしの製で、更にコンビニのローソンPB品なので比較的安く手に入り、しょっちゅう干しそばを食べる私にとっても、美味しいのに低コストなので非常にありがたいのです。汁は、これもやはり国内のものを色々使った挙句、最近ではキッコーマン濃いだし本つゆに落ち着いています。この濃縮汁を元に、つゆ50ccに対し、冷水250ccほどで冷汁を作ります。少し濃いめがいい場合は、つゆ60ccです。これが温そばになると、つゆ50ccにお湯300cc、濃いめがいい場合、つゆ60ccにお湯300ccです。冷も温も、天かすなど水分を吸収しやすいトッピングを載せる場合は、汁の濃さは薄めの方がいいですね…

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遠い遠い先祖のお墓 摩崖の五輪塔にお参り

ちょっと前に、ウチの家に所以のある南房総市和田町の神社にお詣りに行ってきたことをここで書きましたが、その序でというわけではないですが、やはり遠い先祖の供養塔と云われる、すぐそばのお寺『正文寺』にある摩崖の五輪塔にもお参りに行ってきました。このお寺は『安元(あんげん)・治承(ちしょう)(1175~1180)の頃、当地の豪族真田氏の菩提寺として創建された禅宗の寺』と云われておりますが、一説にはその時代の豪族、直内原吉さんが創建し、そこにこの地の領主だったウチの遠い先祖の供養塔(摩崖の五輪塔)が建てられ、先祖の菩提寺になったとも云われています。お寺のお墓の一番奥の崖の中腹に供養塔はあります。伝承ではこの山(丘)の上に、平安時代後期から先祖の館があったということです。今では竹藪になっており、その向こうは主に畑で、当時の面影は既に全くありません。山の斜面に横穴を掘り、そこに摩崖の五輪塔を作る様式は、典型的な鎌倉時代の土着武士、鎌倉武士のお墓の作りなのだそうです、まぁ先祖は平安末期に元々相模国からこっちに渡ってきましたし、その後も同じ三浦一族として、浦賀水道を挟んで盛んに交流していたでしょうし、当然といえば当然の形態かと思われます。この五輪塔が建立された時代については、郷土史研究家によると14世紀(鎌倉~南北朝期)に造られたと推定されているようですが、ウチの言い伝えでは諏訪神社建立の時期と同様に1200年代、つまり13世紀だと云われております。こちらは南房総市の市指定文化財になっておりますが、ずっと前にお寺に…

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『餃子の王将』餃子が本当にうまいね!8人前食べました

京都の知人から『王将の餃子は安くて本当に旨い!』と前々から熱烈に勧められ、行ってみたら確かに彼のいう通り本当に安くて美味しかったので、以来ちょこちょこと食べにいくようになり今に至りますが、つい先日そんな知人からちょっと驚く話を、、いやいや『知人』というには恐れ多いな、ふとしたきっかけで出会った『清和天皇の直系56代目の子孫』の方なんですがね、彼が何より『餃子の王将』の大ファンでして、そんな彼からちょっとビックリするような話を聞き、自分でもどうしても試してみたくなったんです。どんな話かというと、ある日、彼がお年を召したお母さんといつもの『餃子の王将』に行くと、どっかの細っこいお爺さんが一人で黙々と餃子を食べてたそうです。しかし何が驚くってその量でして、細くてヨボヨボなのに8人前を黙々と食べきっちゃったらしいんですよ。私もこういうお店に行くと何故かスイッチが入り突発的に大食いになりますが、それにしても王将餃子を8人前も食べれるものなのかと・・、でも待てよ?前に王将で餃子をたくさん食べたときは、なんというか呑むように食べれる餃子だったよな、だったら8人前ぐらい軽くイケるかな?、ひょっとしたら10人前でもあっけなく食べきれるかもしれないなぁと・・そこまで考えちゃうとどうしても試したくなるのが人情、早速仕事の合間をみて、更にこの時期ですので混んでいる時間帯を外して行ってきた次第であります。オーダーは、餃子定食ノーマル餃子ダブルに1人前追加でノーマル餃子合計3人前、にんにくゼロ生姜餃子を3人前、にんにく激増し…

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三原郷の鎮守の社 諏訪神社

ウチの遠いご先祖さんは、平安時代の終わりに相模国 大住郡の岡崎郷佐奈田村(眞田村)から安房国の朝夷郡 三原郷へと、今の地名で言うと神奈川県の平塚市真田から千葉県の南房総市和田町の三原川一帯に渡ってきて土着した、三浦一族の幾つかある土豪のうちの一つで所謂典型的な『開拓領主』の家ですが、その先祖がこの地に根を下ろす過程で、早い段階で菩提寺(正文寺)と鎮守の社である諏訪神社を建立して、地域との連携を図っております。つい昨日なのですが、ふと思い立ち、そのご先祖が建立したという伝承がある和田町の中三原の諏訪神社に、久しぶりに家族でお詣りに行ってきました。私は過去に何度かお詣りに伺っていたのですが、結婚してからは子供が小さく中々行けず、今回凡そ10年ぶりのお詣りです。奥さんや子供にとっては初めてのお詣りですね。実をいいますと、私自身はこちらに伺うのは面倒なわけじゃなかったのですが、ここの参道が中々クセがありまして、、行けばすぐに分かるのですが、参道の途中の坂が何か所か角度が急な上に、コンクリート張りの舗装が災いして雨などの悪天候下、そして雨上がりなどではめちゃくちゃ足元が滑りやすく、、小さい子を連れていくにはやや難易度が高かったのです。そして以下が、貞応年間(1222~24)に和田町中三原唐ケ作に建立された『諏訪神社』になります。民家の横にある鳥居を抜けて、参道は山の奥に続いています。コンクリート張りの参道は苔むしていますし、雨の後などは足元が滑りやすく、慣れないとちょっと危険かもしれません。そのコンクリート…

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『大多喜無敵探検隊【房総レジェンド】-since197X 』…という名のnoteはじめました

昭和50年代/1970年代の頃、首都圏の僻地の房総半島南部『大多喜町』での私の田舎暮らしの日々をちょっと認(したた)めておきたくなり、雑文と雑な挿絵ですがnoteで少し始めてみました。実は私が大多喜町に住んでいたのは、1歳になる前から17歳までの短い期間なんですが、ちょうど成長段階の多感な時期でしたし、そして何より大多喜町は世間様が思っている以上に昔から自然いっぱいの地域だったので、振り返ると中々面白く貴重な少年期が過ごせました。内容的には、21世紀の今の感覚からすると、そのエピソードのどれもこれもが偉い人達からダメ出しされそうなことばかりです、あの頃の私がこの2021年に小学生のままタイムスリップしてきたら、さぞや問題児になっていたかと思いますが、、信じられないだろうけど昭和の頃はそんなのが当たり前で、同級生や近所の子供たちの中にあっては、精々私は『ちょっと元気がある子供』っていった感じでした、そういった現代と大分異なる点も今の時代に伝えておきたく・・余りに生々しい内容は多少脚色していたりしますけど、大体がリアルな昭和50年代の田舎の大多喜町の普通の少年の日常です。現在までのところ、7つの更新、6つのエピソードをUPしていますが、ネタは幾らでもありますので、仕事の合間など暇をみて延々と続けていく予定です。何よりこういうエピソードを公開していくことで、世の中の人が『大多喜町』に、この過疎と高齢化で日々元気がなくなっていく一方の房総南部の片田舎の町に少しでも興味を持ってもらえたら、町がまたちょっと元…

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餃子の王将 チャーハンを食べにいきました!

前回伺った際、セットの半チャーハンがパラパラしているのにしっとり感がありヤケに旨かったので、今回はチャーハンをいただきに行ってきました1人前のチャーハン!やはり旨い!大きな声では言えないけど、これはウチの界隈で一番お気に入りなチャーハンかもしれないぐらい美味しいです、3人前をドンブリで掻き込みたい感じです!オーダーはチャーハン(炒飯)と餃子のセット、餃子は通常の餃子が1人前ついてます全部食べ切りましたが、餃子の王将さんは、お値段が安いからか、それとも万人向けにボリュームを考えているのか、ちょっと私には物足りない量でして・・故にまた追加オーダーしました、こちらも前々から気になってた『醤油ラーメン』何の変哲もなさそうな昔ながらのラーメン、私みたいなおじさん世代がホッとするヤツです食べた感想、久しぶりにこんな旨い普通のラーメンをいただけました、いやホントに!これはイイ!チャーシュー、めんま、たまご、刻みネギ、正に王道!背脂が浮いてるところもいいですね!そしてもう一品、やはり餃子の王将に来たなら餃子を追加だよね!今度はニンニク激増し餃子を頼みました全部食べて幸せいっぱい!餃子の王将さん、ご馳走様でした!また伺います!(-人-)餃子の王将https://www.ohsho.co.jp/

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すき家の牛丼 赤富士牛丼と牛丼キング

すき家の牛丼と出会ったのは、私が房総南部の田舎から都会に出てきた18歳の時、ですのでもうかれこれ36年のお付き合いだなぁ…その当時の私はお金はないけど若いだけあり年中お腹が空きまくりで、そんなときに安くて旨い牛丼は、その中でも濃いめの味が好みのすき家の牛丼はご馳走で、それはそれはよく食べましたそんな36年食べ続けた『すき家の牛丼』の、勝手お勧めな食べ方(?)をここに記しておきます、まぁ大したことじゃありませんが…(需要ないだろうなぁ)これはある日の我らが庶民の味方『すき家』さんのテーブル、2人掛けテーブルを占拠する牛丼(並)が3つ、そして牛皿2倍盛です牛皿2倍盛を3杯の牛丼に均等に分け、一杯目は肉増しプレーン、二杯目は肉増しに溶き卵を加えて、そして三杯目は肉増しに紅しょうがで赤富士牛丼!なんと贅沢な光景でしょう、18歳の頃の私が果たせなかった『すき家の牛丼をお腹いっぱい食べる夢』が36年の時を経て目の前に実現!(エラく小っさい夢ですいません)すき家の赤富士牛丼 近影、神々しさすら感じますあくまで個人的な感想ですが、吉野家、松屋の紅しょうがに比べると、すき家の紅しょうがは他の牛丼店の紅しょうがと比べて塩っ辛さが強くなく、さらに程よい酸味があり、すき家の濃い甘めの肉にとってもよく合うように思えます、この日の紅しょうがは確か7トングです(勝手基準、一回のトングで取れる量=1トング)紅しょうがをたっぷり盛ったあとはこのように崩し、そしてワシワシと口に詰め込むのです、元気でますよ!すき家の牛丼で忘れちゃいけ…

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