2018年 お盆の墓参り(゚д゚)! 1000年村に囲まれた『房総の小江戸』千葉県夷隅郡大多喜町

8月13日は仏教のお宅なら大体がお盆ですよね、ウチも仏教ですのでお盆は毎年欠かさず行っておりますそんなわけで今年のお盆も南総・外房の大多喜町にある菩提寺『妙福寺』に、迎え火やら送り火やらと、この期間中はしょっちゅう通いましたウチは昭和の中~後期に、南房総市和田町からお墓をこちらに移して今に至りますこのお寺は大永2年(AD.1522年)日明上人開祖の日蓮宗のお寺で、現在まで500年近い歴史があります500年近い歴史というと一般的には長いのですが、この大多喜町を含む南房総一帯は、実は平安時代以前からの1,000年越えな村『千年村』が多々あり、悠久の歴史がギッシリ詰まった土地柄でして、そこに遥か昔から現存している幾つもの寺社の中では比較的新しいお寺になりますまーそもそもこの大多喜町という地域は、実は戦国時代後期以降から集落ができた地域でして、ヤケに歴史が長い南房総一帯の中では所謂『新興住宅地』のような地域、そのムラにあるお寺というと、もっとも古いもので500年ぐらいの歴史となるわけですねついでなんでもう少し詳しく説明しますと、、大多喜町は戦国時代後期以前には集落がなかったところで、戦国時代後期に真里谷武田氏がこの地域に拠点を作ってから人が集まるようになり街が徐々に出来上がりました、それ以前は郷と郷の境界、いわゆる『僻地』、あとは野っ原・山野なんでイクサ場、古戦場ってとこかなそのような土地柄ですので、建造物の『歴史』自体が他の南房総一帯と比べるとそれほど古くはないのです(比較する千葉県南部周辺地域の歴史が…

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いすみ鉄道 大多喜駅にお土産買いに行ってきた

あー、このお盆の間、子供の頃に住んでいた大多喜町の大多喜駅にも行ってきました行った理由はご近所さんに鉄道好きがいるので、お土産を買っていこうと・・wあいにくこの日は雨、しかも最高気温22度とかいうし寒いし、、でもこんな天気にも関わらず、非常に都会的な若い女の子二人連れの訪問者などがいっぱいいて、オッチャンちょいとビックリでした!、自分が子供の頃の大多喜駅では、まず見なかった風景です目的地到着!大多喜駅に併設された売店ですいすみ鉄道グッズやお菓子などのお土産がワンサカ置かれておりますひとまずご近所さん宛のお土産なので、あまり高いものを買っていくとドン引きされちゃうだろうと、い鉄揚げ3種類を買っていくことに・・この「い鉄揚げ」ですが、濡れせんべいを揚げたもので、独特な食感がクセになる逸品です(*´ω`*)そうそう、お店のオネェーサンの笑顔も素敵でした!写真ありがとうございますオネーサン!菜の花イエローのムーミン列車、最近この「いすみ鉄道」がメディアに出ることが何かと多いのですが、それはやはりこちらの社長、鳥塚さんのお力なところが大きいでしょうねーでもふと考えちゃうんですこの先、時が過ぎ、鳥塚社長がその寄る年波でやめちゃったら、そのあと大多喜をはじめとする「いすみ鉄道」沿線は、またあの頃に逆戻りしちゃうんじゃないの?ってそれまでに地域の皆さんが、せっかく蒔かれたこの「種」を、どれだけ大きく育てられるかでしょうねそうそう、大多喜町には島倉千代子さん、大川栄策さんが歌う「大多喜音頭」という歌がありまして、、…

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実家に行ったついでに、ちょいと家族で大多喜駅まで見学 ('ω')ノ

あー、一つ前の日記の通り、昨日は家族で久しぶりに南総・外房の実家に、家族で顔を出しに行ってきたんですが、鉄道好きな子供、そしてムーミン列車が好きな嫁さんのために、実家でご飯を食べた後、ちょいとひとっ走り大多喜駅に行ってきました大多喜町は自分が子供のころ住んでいた町で、今もそこかしこに当時の面影が残っておりますそして何より夏休みシーズン!40年前のあの頃の夏休みは、ほんと一日中大多喜のマチナカや山野を、近所の子供らと一緒に駆けずり回ってましてw、その何気ない風景がほぼそのまんま今も残っているんですよねー、自分にとっては、まるでタイムカプセルのような町なのですこれはぜひ子供にも知ってもらわねば、と( ー`дー´)キリッ <親都合の押し付けw山影と空の、この光のコントラストが、いかにも大多喜、いかにも房総南部の夏の景色ですわ娘は最近このサングラスがお気に入りでして、サングラスをかけた状態を自ら「ヤンキー!(不良)」と申しております実家の婆ちゃんに話したところ「ヤンキー、あぁーメリケンさんねー(*´ω`)」と、、そっちのヤンキーで来たか、さすが戦中派!と感心しましたあー、この日もまた大多喜駅でいすみ鉄道の鳥塚社長と田中さんとお会いしましたそりゃまーここはいすみ鉄道だもんな、お二人がいておかしくないわなぁw いすみ鉄道 大多喜駅

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【房総日帰り出張その3】いすみ鉄道 鳥塚社長にご挨拶伺い(`・ω・´)ゞ

あー、前の日記の続きです南房総市に仕事で日帰り出張し、飯も食べ、さーて帰ろうかな?と思ったんですが、考えてみたらここ1か月、家族が風邪ひいて熱出したり、自分自身が色々用事があり、南総・外房地域(夷隅郡市)の実家に全く顔を出してないわーと思い、急遽予定を変更し、遠回りして、母親の顔を見てから帰ろうと・・ちなみに南房総市から実家までは、実走距離にして70kmぐらいあります、しかも延々一般道、何だかんだ、途中で停車しながら仕事の電話やメール、メッセンジャーのやりとりしながらで、実家に着くまで1時間半もかかりました、まー景色がいいからそんなに苦じゃないんだけどね ε- (´ー`*)フッで、まー、実家に着いたら着いたで、齢80越えの母親は元気そうだったんで安心できましたわ結局行ってよかったです( ´ー`)で、その移動途中なんですが、上記の通り、車を都度停めつつ、仕事のメールやメッセンジャー、電話しながら移動してた訳なんですが、、その合間にフェイスブック上で「ただいま実家に向かって鋭意移動中~」みたいなことを書き込んだら、いすみ鉄道 鳥塚社長から「どこいるの?私は大多喜駅にいます」と・・つまりこれはおい眞田!そこまで来てるんなら顔を出しなさい!( ・`д・´)キリッってことなんだろうと察しましてwww実家に顔を出したあと、いすみ鉄道 鳥塚社長のいらっしゃる大多喜駅に立ち寄り、色々と情報交換・情報共有をさせていただきましたしっかしこの方むっちゃくっちゃタフですこの数日間、台湾での各鉄道会社さんが参加する駅弁イベ…

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大多喜町ではその昔、野良仕事の合間に畑に穴掘って湧いた天然ガスで日常的にお茶を沸かしていた!(;゚Д゚)スゲー

あー、自分は実は所謂「郷土史」というのを読むのが好きなところがありまして・・その町ごとの文化風習、そして歴史が淡々と書かれており、ヘタな物語読むより楽しいですわーまー歴史ってーヤツは、そもそももう誰も二度と戻れない記憶や忘却の彼方の話でもあり、実際に現在生きている我々が目にし手にすることができない、つまり情報の海の向こうの世界でありますそういう視点からは、SF小説などと何ら変わることがない絵空事のようにも思えるところもあり、想像力豊かに眺めることもでき、とってもロマンチックな書物であるんですわ( ´ー`)フゥー...で、相変わらず前置きが長引きましたが(ゲフンゲフン千葉県夷隅郡大多喜町の郷土史「大多喜町史」を読んでて、一つ面白い「歴史」を知りました簡単に書きますと、、少なくとも明治10年代より以前、ことによったら江戸時代の大多喜町のお百姓さんは、その野良仕事の合間、お昼休憩時などに田畑に小さな穴をあけ、自然と吹き出す天然ガスに火をつけ、お昼の際などにお湯を沸かして利用していた、と・・フツーに読むとほーん、で?(´・∀・`)・・て感じでしょうが、、冷静に頭の中でその情景を思い描くと分かると思うけど、わりと「個性的」な日常ですよねなんというか突っ込みどころが何気に多い!そもそもこの時代、日本ではまだ天然ガスは一般化されておらず、世間様でインフラとして利用され出したのは大正時代に入ってからですでもそれよりずっと以前に、大多喜のお百姓さんたちが遥か昔から日常的に天然ガスを利用されていたっていう事実って…

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つくづく「いすみ鉄道(木原線)」は、自分の原風景なんだなぁ( ´ー`)フゥー...DVDを観て

あー、この前、房総の田舎に帰った際、大多喜駅の売店に寄って、そこで売られている「いすみ鉄道」の前面展望DVDを買ってきました大多喜町は幼少の頃から高校卒業までの多感な時期を過ごした町、物心ついた頃から「いすみ鉄道(当時は国鉄木原線)」が自分の日常の中にありました勿論この沿線を使ったことも多々ありますそしてこの映像に流れる前面展望動画から見える風景は、あの頃の昭和の当時と大きく変わらないこともあって、その何もかもが懐かしく感じられますこれを仕事をしながら別のモニターに映し、環境ビデオとして流してるとリラックスできるんですわw

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大多喜町でお土産買ってきた 「い鐡揚げ」と「らっかおこし」

あー、前の日記の続きでもあるのですが、、房総のバァーチャンの家に向かう途中、手ぶらじゃナンだよなーと、大多喜駅前の大多喜観光本陣(お土産屋)にて色々お土産を買いこんできました以下の2つは自宅持ち帰り用のアイテムです大多喜町と言ったらやはり「いすみ鉄道」、そのいすみ鉄道の数あるお土産の中でも個人的にリピート率が高いのがコレい鐡揚げ(しょうゆ味)銚子電鉄の名物に「ぬれ煎餅」がありますが、いすみ鉄道は更にそのぬれ煎餅を揚げております!そして味も色々あって、どれも中々ウマーい!(゚д゚)ウマー中でもこの「しょうゆ味」は個人的には一押しです、値段も比較的リーズナブルですし、大多喜のお土産として万人にお勧めですわー味は、このしょうゆ味に限って言えば、非常にさっぱりサクッとした歌舞伎揚げって感じでナイスなんですねーそして今回新たに買ってみたアイテム房総らっかおこし落花生とカキピーの煎餅みたいなのを混ぜ込んでオコシにしたようなモノでして、甘みも諄くなく、且つなんというか落花生の香りも漂い・・、中々に素晴らしい逸品かと思われますでもこれ、大多喜町「だけ」のお土産じゃなさそうですねw自宅に帰って、これらお土産を手にペコちゃんスタイル(舌を出す)で記念撮影鳥塚社長、い鉄好きなウチの子を「い鉄」のイメージガールにしませんか?w大多喜町観光本陣千葉県夷隅郡大多喜町大多喜270−1

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【平成29年】 房総のお正月 初詣に地元の氏神様と大多喜八幡神社【西暦2017年】

あー、毎年1月1日元日は、ウチは南房総(南総・外房)の母の家(実家)に、年始の挨拶に行くのが行事化して久しいですが、今年ももちろん行ってきましたしかしまず最初は、自分の自宅近所の氏神様である八幡神社にお詣りをします、毎日お世話になっているこの町の神様に、まず第一に新年のご挨拶をするのは神国日本の民として至極当然のことなのです!( ー`дー´)キリッ・・で、地元の神様へのお詣りを無事済ませた後に、高速道路で一気に房総半島を南下してきましたそして南房総の実家に行く前に、自分が幼少の頃から高校生の頃までを過ごした「大多喜町」の、その戦(いくさ)の神様、弓矢の神様でもある「大多喜八幡神社」にも家族揃って初詣ですこの神社は、江戸時代からの所謂「近世 大多喜城」の大手門のところに移設された神社でして、当時は下の写真の右手奥の栗山(地名)にあったようですその栗山には、ウチの先祖の一族も家臣団だった「中世 大多喜城(小田喜城)」がありましたその中世 小田喜城の城主である里見家、正木家は勿論、その前の城主である真理谷武田氏にも手厚く祀られてきたということですまーこんな話を思い出すと、結局のところウチは「一族」という単位で見た場合、この大多喜町にも随分と古くからの縁があるんでしょうね近代、昭和の時代になって、祖父がこの町に仕事でやってきた、ある意味「戻ってきた」のもご縁、そしてこうやっていまだに私がちょこちょこ大多喜を訪れるのも、これも間違いなくこの町とのご縁で、現在も大多喜町の著名な方々とも身近にお付き合いをいただ…

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房総半島の要の町「大多喜町」といったら「いすみ鉄道」でしょう( ゚д゚ )ウム

あー、前の日記にあるように、老いた母を乗せ、実家の外房の町に館山経由で送り返したんですが、途中、ご近所へのお土産を買いに大多喜駅に寄りました駅のお土産売り場で色々買い込むためですしかしまぁ着いた時間が遅くて、お店が閉まっちゃってました(´;ω;`)写真は駅のホームで発車を待つキハ20これを傍で見れただけでも儲けモンでしたがwいすみ鉄道http://www.isumirail.co.jp/いすみ鉄道 大多喜駅千葉県夷隅郡大多喜町大多喜264

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大多喜城の護り神「大多喜八幡神社」にお詣りに行ってきました【弓矢の神 戦の神】

あー、自分は18歳の多感な頃まで、千葉県夷隅郡の大多喜町で過ごしたのですが、その当時の地区の氏神さんがこちら「大多喜八幡神社」なのでした昨今古くなったお宮が新たに建て直されたので、大多喜町に観光ながら家族でお詣りにいってきた次第ですこの神社の参道は、近世大多喜城の大手門の址でもあります真っ赤な鳥居の向こうに建て直されたお宮が・・、その向こうに近世大多喜城の天守閣が見えます狛犬の前に立つ座敷童のようなのはウチの姫これでも平安時代末期の南房総の豪族やってた先祖から家系図を繋ぎ合わせて数えると40代目!(39代目かな?)大多喜八幡様の神輿歌で「大多喜八幡様、赤いモンがお好き~♪」と歌われている通り、建て替える前のお宮は屋根などをはじめ、全体的に真っ赤に染められていました、しかし新しいお宮は赤くないです、まぁ建て替えたばかりだしなぁ、今後また真っ赤に塗るのかもな大多喜八幡神社は、本多忠勝氏が築城した近世大多喜城の頃や、その前の里見氏、正木氏の治める中世大多喜城(小田喜城)の頃はもちろん、その遥か悠久の昔から、こちらの八幡様はこの地の当主達に崇められ、弓矢の神、戦の神として大切に祀られてきました大多喜八幡神社の向かって右側の農地周辺、栗山が、その昔の中世大多喜城(小田喜城)のあった場所ですこの中世小田喜城は、ウチの一族とも深い縁があります詳しくは [中世の豪族 房総 眞田氏(佐奈田)]カテゴリ一覧 でw <誰も興味ないだろうな ε- (´ー`*)フッ大多喜八幡神社の脇からの眺めあー、ちなみに昨今、こちらの大…

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