ついこの前、仕事の合間を縫って久しぶりに遠い先祖の供養塔にお参りしてきました。
こちらは鎌倉時代の我ら先祖の磨崖の五輪塔。なんでも鎌倉時代の様式がしっかり残ることから歴史的な価値が高く、南房総市の市指定文化財になってます。

そもそも五輪塔は史跡で散見できるのですが、このように山肌に横穴を開け、そこに摩崖仏のように五輪塔を掘ったものは国内でも珍しく‥、この形態は鎌倉時代の武士の祠でよくあるスタイルなんだそうで、その中でも千葉県側では完成度(精度)が高いものなんだそうです。そのような背景から昭和の頃に市指定文化財に認定されたとのことでした。
なによりこの摩崖五輪塔の存在が、平安末期に浦賀水道を渡り、相模国の佐奈田村から安房国に進出してきた当時のご先祖たちと鎌倉政権のつながりの深さがわかります。
ちなみにこの日は、前もって置かせていただいた線香台にお線香を灯したあと、お供物として私のお昼ご飯に買っておいたハンバーガーパン(!)をあげさせていただきました。

ハンバーガーは、当然そのまま置いておくと野生動物に食い散らかされて辺りが汚くなっちゃいますので、程よいタイミングで今度はお下がりとして私が責任をもって最後までおいしくいただきました
(-人-)
市指定文化財の解説、左側がこの摩崖の五輪塔の記述です。

しかし市指定文化財が先祖の墓ってどうよ
なんだかオレってイカれてるぜ( ´,_ゝ`)プッ
そうそう、この五輪塔があるお寺はこちら、現在では日蓮宗の正文寺ですが、うちの先祖の全盛期は、こちらは曹洞宗(禅宗)のお寺でした(写真は前に訪れた際に撮影したもの)。
↓

お墓の奥の山肌に、摩崖の五輪塔があります。

正文寺の駐車場からは、籠城戦用に準備された「三原城山城(神田山)」が見えます。

山城跡の神田山には登る気はしませんが、この正文寺の裏手の丘の上に三原城の跡があります。
城跡といっても単なる台地でしかなく、そこまでの道が狭いので車で行くのが億劫なので今まで滅多にいきませんでしたが(歩けオレ!)、この日は私ひとりでしたので、こののち久々に訪れてみました。
次回につづく‥。
↓
遠い先祖の「三原城」中世の安房国の館城跡
こちらは鎌倉時代の我ら先祖の磨崖の五輪塔。なんでも鎌倉時代の様式がしっかり残ることから歴史的な価値が高く、南房総市の市指定文化財になってます。

そもそも五輪塔は史跡で散見できるのですが、このように山肌に横穴を開け、そこに摩崖仏のように五輪塔を掘ったものは国内でも珍しく‥、この形態は鎌倉時代の武士の祠でよくあるスタイルなんだそうで、その中でも千葉県側では完成度(精度)が高いものなんだそうです。そのような背景から昭和の頃に市指定文化財に認定されたとのことでした。
なによりこの摩崖五輪塔の存在が、平安末期に浦賀水道を渡り、相模国の佐奈田村から安房国に進出してきた当時のご先祖たちと鎌倉政権のつながりの深さがわかります。
ちなみにこの日は、前もって置かせていただいた線香台にお線香を灯したあと、お供物として私のお昼ご飯に買っておいたハンバーガーパン(!)をあげさせていただきました。

ハンバーガーは、当然そのまま置いておくと野生動物に食い散らかされて辺りが汚くなっちゃいますので、程よいタイミングで今度はお下がりとして私が責任をもって最後までおいしくいただきました
(-人-)
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しかし市指定文化財が先祖の墓ってどうよ
なんだかオレってイカれてるぜ( ´,_ゝ`)プッ
そうそう、この五輪塔があるお寺はこちら、現在では日蓮宗の正文寺ですが、うちの先祖の全盛期は、こちらは曹洞宗(禅宗)のお寺でした(写真は前に訪れた際に撮影したもの)。
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お墓の奥の山肌に、摩崖の五輪塔があります。
正文寺の駐車場からは、籠城戦用に準備された「三原城山城(神田山)」が見えます。

山城跡の神田山には登る気はしませんが、この正文寺の裏手の丘の上に三原城の跡があります。
城跡といっても単なる台地でしかなく、そこまでの道が狭いので車で行くのが億劫なので今まで滅多にいきませんでしたが(歩けオレ!)、この日は私ひとりでしたので、こののち久々に訪れてみました。
次回につづく‥。
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遠い先祖の「三原城」中世の安房国の館城跡
【関連日記】
三浦党 房総眞田氏、郷土史などに出てくる先人達の名
https://sanada-do.seesaa.net/article/2014-09-30.html
中世から近世、小豪族のウチ「房総 佐奈田/眞田」先祖達の生き残りの歴史
https://sanada-do.seesaa.net/article/2012-07-19.html
三原眞田 / 三浦眞田の故郷 安房の三原郷
https://sanada-do.seesaa.net/article/2015-12-10-1.html
中世豪族 眞田氏の三原城 そして神田山の三原城山城
https://sanada-do.seesaa.net/article/2013-01-01.html
中世豪族 眞田氏のやぐら・磨崖{まがい}五輪塔 南房総市指定史跡
https://sanada-do.seesaa.net/article/2013-04-20-1.html
三原郷の鎮守の社 諏訪神社
https://sanada-do.seesaa.net/article/2021-09-06.html
眞田、真田、佐奈田、、サナダという地名と名字の由来
https://sanada-do.seesaa.net/article/2009-09-20-1.html
佐奈田与一(眞田与一)の子孫について
https://sanada-do.seesaa.net/article/2011-07-13.html
房総の眞田一族にも六文銭を家紋に使う家系があります
https://sanada-do.seesaa.net/article/2011-07-13-1.html
【雑談所】やる夫が真田家に生まれたようです 雑談所その10 【2ちゃんねる より抜粋】
https://sanada-do.seesaa.net/article/2015-01-14-1.html
[中世の豪族 房総 眞田氏(佐奈田)]カテゴリ一覧
https://sanada-do.seesaa.net/category/28076199-1.html
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衛星写真で見た、三原城周辺

平安時代後期の先祖達の足跡(そくせき)※郷土史と家伝による
平安時代後期の先祖達の足跡(そくせき)※郷土史と家伝による

安房国 朝夷郡 三原郷 鎌倉時代最盛期の勢力範囲(現:南房総市和田町と鴨川市江見 周辺)

正文寺(普門寺)
千葉県南房総市和田町中三原270
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