【最後のチェロキー?】Jeep KLチェロキートレイルホーク

 アメリカ大統領のトランプさんが「日本人はアメリカ車を買わない!」とずいぶん嘆いているようですが、そんな私はアメリカ車のJeepが昔から大好きで、20代後半から今日まで、かれこれ30年乗り継いできております。そんな私ですが、ホンの2~3か月前、新しいJeepに乗りかえました。KLチェロキー後期型のトレイルホークversion、2~3年前に生産が完全終了した所謂「絶版車」。なによりこれで、通算9台目のJeepです。本国アメリカでは多少は売れたようですが、日本などでは惨憺たる販売実績だったようでして‥、日本では同時期にフルモデルチェンジしたばかりのJLラングラーやレネゲードにお客さんが奪われた形で全く売れず、早々に日本への輸入販売は打ち切られ、本国のアメリカでも生産を終了してしまったのでした。でもこれ、かなり出来の良い車でして、当時発売されたばかりのJLラングラーに乗ってた私は興味シンシンな一台なのでした。エンジンはアルファロメオのスポーツカー「ジュリア」や、同じくスポーツSUV「ステルヴィオ」に積まれるものと同じDOHCターボで最大出力は272ps、トルクも400Nmというもので、この暴れ馬的なエンジンをZF社の9速ATでどこまでも滑らかにブン回すのです。2トンちょっとの車体なのですが、まるで羽根が生えたような加速をしますし、実速も過去に乗ってきた様々なJeep、特に俊足といわれたWK2グランドチェロキーより圧倒的に早いですね。ちょっと気を付けなきゃいけない走行性能な車です。更にこのトレイルホークv…

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「房州のサナダさん」850年続く桓武平氏三浦党の佐奈田【房総真田氏】わたしらは平家の落人じゃありませんよ

このゴールデンウィーク中、本家に久し振りに伺ってきました。私の家も本家ですが、こちらはそんな私の家の更に上位レイヤーの本家。世が世だったら「お館さま」ではないだろうか?右奥に転がる黒いフカフカの物体は、そんなお館さまの現在の一の家来(?)黒猫のヌスネコさん。名の由来は「盗っ人ネコだから」と‥中々激しいネーミングセンス!そのセンスわたしは大好物です!この南房総市和田町布野の山奥は、海沿いの地元の人からは「平家の落人村」と長年呼ばれて怖がられてた(?)界隈、そんな山奥に住む何軒かのサナダさんたちの中で、古い順でいうとこちらのお宅は2番目、1番古いサナダさんが住む山の隣に家があります。そして私の家も、この鎌倉時代~戦国時代の房総真田の本家・本家筋全体でいうと、かなり古い〇番目のサナダさんになっている模様です(家自体はもう和田町布野にはないけど)。‥それにしても少子高齢化で一族単位で人・家が減っているので、この先は一体どうなるのでしょうかね。私自身、この地域の他のサナダさんは、もう2軒ぐらいしか面識がないのです。この先なにがあるか分からないから、今のうちに少しでも顔繫ぎしておいたほうがいいのかもしれないなぁ‥。そうそう、歴史好きな人は興味があるかもしれませんが、この地には信州のサナダさんより古い時代から「六文銭」を家紋として使っていたらしいサナダさんの本家もあります。昭和の頃は飲み屋さんをしてました(屋号をいうと即バレ 内緒にしときます)。※詳細はこちら→ 房総の眞田一族にも六文銭を家紋に使う家系がありま…

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三原郷の鎮守の社「中三原の諏訪神社」またの名を「もののけ神社(我が子命名)」

二つ前からの一連の投稿の続きになります。こちらは西暦1222年 鎌倉時代の遠い先祖が建立した諏訪神社。時代が下った戦国時代には里見氏が改修をしたそうです。こちらの神社は山道を10分ほど登った先にあり、この地に馴染みがないとかなり不気味にみえるらしく、うちの娘曰くここは「もののけ姫」の「もののけ神社」だと言いやがりました…我が子ながらヒドいこというよなぁーo(`ω´*)oプンスカプンスカ!!当時すでに仏教の伝来で肉食NGだったのですが、ここのように狩りの神様である諏訪神社を奉り、お供物として捧げる大義をもって仏教のしきたりを公明正大に回避したんでしょうね。ようはイノシシやシカ、ノウサギやタヌキにキツネ、アナグマ、そのほか様々な野鳥などを狩って狩って狩りまくり(?)、その場で形だけでも地元の諏訪神社の神様にお祈りしお供物として捧げ、しばしの後に喰らう!!‥そんな情景が目に浮かびます。折しもこの時代は、各地でも諏訪神社が多く建立された時期なようで、まぁ~みんな肉が好きなんだよなぁわかるわかる。神社建立から800年ちょい先の子孫の一人の私も、実は魚より肉派です。唐揚げ牛丼大好きだー( ゚д゚ )クワッ!!この辺りは海産物が無双な外房地域ですが、あくまでワタクシ個人的には、たとえどんなに新鮮であろうと魚なんていくら食っても力出ませんわw生魚も消化に悪いし好きじゃないのですw話を戻しましょう。この神社の社殿は実は中々巨大なものでして、比較のため写真の右側に人のサイズを入れてみましたのでご参考ください。写真…

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遠い先祖の「三原城」中世の安房国の館城跡

一つ前の投稿の続きになります。正文寺の先祖の供養塔にお参りしたあと、そのすぐ脇の道をあがり、同じく遠い先祖が館城「三原城」を構えた城跡に寄ってみました。うちの車でギリギリ幅の急な坂道を上った丘の畑の中にある台地、ここが「三原城」の城跡です。車で城跡に横付けしましたので、台地の規模がわかりやすいのではないでしょうかね。台地は3mぐらいの高さがあります。城跡の台地の上に上がるとこんな感じです。見たところ‥、テニスコート3~4つ分ほどの平らな地形になっています。ここに館があったのでしょうかね。背後の削れた山肌の上にってことはないとは思うのですが‥、元々はもう少し台地自体が高くて、時代が下って新たな所有者に地面が削られて今の形になったのかな?ここからの見晴らしはよいですねぇ~。気分いいや(*´ω`*)この台地からは、さっき正文寺の駐車場から見えた三原城山城(籠城用出城?)と、やはりその時代の先祖が建立したと伝わる諏訪神社の山が見えました。せっかくなので諏訪神社にも、この後久しぶりにお詣りにいくことにしました。その神社は山の奥にあり昼でも薄暗く、前にうちの娘を小さいときに連れて行った際は「もののけ神社だギャー!」と喚かれ半泣きされたのを思い出しました。次回につづく‥。 ↓三原郷の鎮守の社「中三原の諏訪神社」またの名を「もののけ神社(我が子命名)」https://sanada-do.seesaa.net/article/2025-02-07-2.html【関連日記】三浦党 房総眞田氏、郷土史などに出てくる先人…

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遠い先祖の摩崖の五輪塔にお参り 市指定文化財のお墓

ついこの前、仕事の合間を縫って久しぶりに遠い先祖の供養塔にお参りしてきました。こちらは鎌倉時代の我ら先祖の磨崖の五輪塔。なんでも鎌倉時代の様式がしっかり残ることから歴史的な価値が高く、南房総市の市指定文化財になってます。そもそも五輪塔は史跡で散見できるのですが、このように山肌に横穴を開け、そこに摩崖仏のように五輪塔を掘ったものは国内でも珍しく‥、この形態は鎌倉時代の武士の祠でよくあるスタイルなんだそうで、その中でも千葉県側では完成度(精度)が高いものなんだそうです。そのような背景から昭和の頃に市指定文化財に認定されたとのことでした。なによりこの摩崖五輪塔の存在が、平安末期に浦賀水道を渡り、相模国の佐奈田村から安房国に進出してきた当時のご先祖たちと鎌倉政権のつながりの深さがわかります。ちなみにこの日は、前もって置かせていただいた線香台にお線香を灯したあと、お供物として私のお昼ご飯に買っておいたハンバーガーパン(!)をあげさせていただきました。ハンバーガーは、当然そのまま置いておくと野生動物に食い散らかされて辺りが汚くなっちゃいますので、程よいタイミングで今度はお下がりとして私が責任をもって最後までおいしくいただきました(-人-)市指定文化財の解説、左側がこの摩崖の五輪塔の記述です。しかし市指定文化財が先祖の墓ってどうよなんだかオレってイカれてるぜ( ´,_ゝ`)プッそうそう、この五輪塔があるお寺はこちら、現在では日蓮宗の正文寺ですが、うちの先祖の全盛期は、こちらは曹洞宗(禅宗)のお寺でした(写真は…

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氷河期世代の本音【2ちゃんねるコピペ】

今までニートとか、派遣とか馬鹿にして笑い者にして、自己責任だの、甘えだの、クズだのゴミだのと叩いて、勝手に飢え死にさせとけとか残酷なことばかり吐き捨ててたけど、それらの行為の報いは全部自国、ひいては自分の企業、自分の生活に跳ね返ってくるんだよね。それに国民はおろか、為政者すら気付いてない。 本来なら、「お願いしてでも」20~40代なんて安定雇用で「全員」が働いて「頂いて」、結婚してもらって子供最低2人以上、出来れば3人、4人と産んでもらわないと困るのに、その現役世代が、最初の就職ごときですら悲壮感漂わせながら必死に求職活動しないといけなくて、つまずくような社会にしてしまった。そして一度つまずいたら二度と戻れない社会を、弱者を馬鹿にしてそのまま放置してきた。現役世代に金の不安を与えたら、それが非婚化・少子化に直結するのは当たり前のこと。本当にバカだよ。 社会全体でニートだ派遣だと弱い男性を笑い者にして、クズ扱いして、「こんな人間誰が採るよw」とかいって余裕ぶっこいてた会社員様が、超少子高齢化・人口減少による内需の縮小で自分の所属してる企業が大赤字で潰れる。そして年金も破たんし国ごと崩壊。今自分がこの日本と言う豊かな国で、豊かなインフラで、幸せに生活で来てるのは、「どこかの他人が子供を作ってくれて、その国力によって維持されてる」ものなのに。昔の為政者はそれが分かってた。「全員揃って豊かにならないと、国は決して繁栄しない」ことを知ってた。だから底辺を見捨てなかった。 「自分だけ金持ちでいられる…

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実はM6 Jeepコンパスに乗り換えて一年が過ぎました

ブログ自体の更新をここのところまともにしておらず、もっぱらInstagramとnote、あとはお友達うちのFacebookばかりになって久しい昨今の私ですが(今後もう少し更新するか)、実は愛車のJLラングラーを一年前に売り、今はM6コンパスに乗っています。(WK2グラチェロを現代風にブラッシュアップさせて世界基準サイズにしたコンパス、Jeepの世界戦略車だけあり中々よい車です)(コンパスは、Jeepの中では珍しく俊敏な車で、さらに日本の道路事情にもフィットするこのサイズ感もお勧めです)昨今メーターコンソールにお節介にも「一年点検まであと〇〇日」とメッセージが出るようになりまして「まるで宇宙戦艦ヤマトのエンディング、地球滅亡まであと〇〇日みたいじゃないか!」と思う反面「そうか、コイツに乗り換えてもう一年になるのか」と感慨深くもなり、記念にうちの「8代目のJeep」Jeepの実用車コンパスを投稿しました。この一年、この車と付き合っての私の感想は「ちょうどイイ」につきます。2.4LのNAガソリンエンジンなので、ターボなどの過給機付エンジンのような違和感はなく、欲しい時に欲しい分だけ加速が手に入り、さらに過不足を感じません、むしろ早すぎるぐらいだ。そしてFFベースのフルタイム四駆なので高速道路の直進性は抜群、30年にわたり7台乗り継いできた今までのJeepに比べても明らかに秀でています。更に高速での急な車線変更でも瞬時に四輪に力が加わり全然尻を振らず、100km/h前後の速度域でもアメンボのようにスイスイ…

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今年は上妙典の千貫神輿が出ます!広く担ぎ手募集!

いよいよ我がムラの掲示板にも正式に募集告知が貼り出されました。上妙典祭礼お神輿の担ぎ手広く大募集!隣接する都内はもちろん、全国のお神輿の製造や修理を一手に引き受ける「お神輿の町」行徳(ぎょうとく)、その各村のお神輿の中でも千貫神輿と云われる大神輿が我が村「上妙典」にはありまして、この秋の祭礼には大神輿を始め、中神輿(普通サイズ)、子供神輿、多分さらにもう一基普通サイズの神輿が出ます!(実は我が上妙典地区は行徳エリア内で最もお神輿を持っています)…とは言え、これが全解放となったらエラい騒ぎなのであります!そこでお神輿好きな全国の皆さん!この秋は重くてデカいと評判の伝説の行徳神輿一部では行徳神輿の最終兵器と云われる上妙典 千貫神輿‥を担ぎにきませんか!川を挟んだ東京都内の江戸前神輿とは揉みかたが異なりますが、行徳の担ぎ方はまさに神事の様相、厳かでございます。また事前に白装束と白足袋を揃える必要がありますが、これは本塩地区の「学生用品アキモト(千葉県市川市本塩2−23 TEL: 047-357-2052)」で一式が安く手に入ります。学生用品アキモトの、いつも半開きのシャッターをくぐって店内に入り、オレは上妙典のを担ぐ!(キリッ)ただひと言そのように言ってくださればきっとご主人が Σ( ゚д゚)ハッ!となり無言で一式を用意してくれることでしょう!何よりこれを持ってたら上妙典だけじゃなく、行徳各地域のお神輿にはフリーパス!担ぎ手はもれなく地域の皆さんから厚くもてなされ酒もご飯も貰えるし当然神事なので神様の御…

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【昭和の田舎の夏やすみの一日】虫取りラジオ体操、駄菓子屋パトロールに川遊び -大多喜無敵探検隊の作戦報告

最近ではブログを更新しなくなって久しいですが、その分noteで趣味のお話を仕事の合間に執筆し、ひとり楽しんでおります。このお話は、前々からこのblogでも何度かご紹介させていただいた「大多喜無敵探検隊-since197X」というタイトルの、趣味の(自称)児童文学(?)。私と同年代の人には懐かしく、そして令和の子供たちには反面教師としてご覧になっていただけたら嬉しいなぁ~といった、一種のイラスト・エッセイです。舞台となる房総半島は、ご存知の通り首都である東京の隣の千葉県ですが、令和の今でも半島の先に行けば行くほどむっちゃくちゃ田舎でして、それが今から40~50年前の昭和の頃となったら本当にトンでもない僻地でありました。しかしある意味ワイルドでもあったのですが‥、「大多喜無敵探検隊-since197X」は、そんな昭和の大多喜町で育った私の、あの頃の回顧録でもあります。そして今回のお話は「夏やすみの一日」。昭和の小学生にとって夏休みは年に一回のボーナスステージ、朝から晩までフリーダムな「あの頃の夏やすみ」です。でも結局ボリュームが多くなり、去年のうちに執筆したものも含め最終的に「早朝編」「定例パトロール編」「川遊び編」と三部作になっちゃいました。。また今回のお話は、夏に向けて多少なりとも観光的な部分も意識してみまして、他所では一般的ではない房総南部の川廻しという土木工事の図解や、フリー画像も多数使ってみました。なにぶん半世紀も前の、昭和レトロ真っ只中のお話ですので、今の時代では通じない事柄も多く、イラス…

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大多喜カエムたけのこ園 父が愛した伝説の白タケノコ2023年も素晴らしい!

この時期はちょうどタケノコのシーズンですよね。昭和の時代、私が子供の頃に過ごした千葉県夷隅郡の大多喜町も、実は良質なタケノコの産地として関東ではとっても有名なんです。 ‥フフフそんな私です、もちろん今年も手に入れましたとも!大多喜たけのこレジェンド「大多喜カエムたけのこ園」の、伝説のアクなし真っ白タケノコを! ( ̄▽ ̄)ニヤリ  大多喜町の川畑(かわばた)、平沢(ひらさわ)、弓木(ゆみき)地区のタケノコは、土壌の質のお陰でアクが極端に少なく、そのまま切って刺身でも食べれるものですが、その中でも川畑と平沢にタケノコ山を持つカエム農園さんのタケノコは、さらにアクがなく見事なほどに真っ白でとても柔らかい「白子(しろこ)」と呼ばれる特級品! 噂を聞きつけた東京都内の料亭やホテルなどから、今でも引っ張りだこな知る人ぞ知る逸品なのです! アク抜きが一切不要だからタケノコの香りがしっかりと残り、そして気品のある白さと柔らかさで、繊細なタケノコの風味をこれ以上ないという程、存分に味わえるのが評判なのです。 なにより昭和の時代、地方紙「千葉日報」の新聞記者だったグルメな我が父が、このカエムさんのタケノコに出会ってからというもの、以来とことん惚れ込んでおりまして、、この季節になるとカエムさんのタケノコを、その初物からお終いのシーズンまで毎年何度も取材しておりました。確かそれが一つの切っ掛けとなり、大多喜町のタケノコが東京をはじめ、広く関東圏で有名になったと自治体関係者に伺ったことが…

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